VOL.8
NIAS/INDONESIA  photo and sketch by Kiichi Suzuki

NIAS/INDONESIA


《楕円の家》1993.7/20
ニアスの伝統的家屋は、大きく二つに分けられる。北部はこのスケッチに見られるような楕円の家、南部のプランはすべて方形でバウォマタルォのような集落形態を残して現存している。いずれも高床杭上住居で、屋根は高々と天空を突いている。 TUMORI SIWAHILL

《楕円の家、内部》1993.7/20
この家の手斧で切り出した柱にはうっとりしてしまう。……じっと感じていたら、ガウディが浮かんできた。バルセロナ郊外にあるグエル教会のみずみずしい4本の石柱がぼくの中で重なる。この広間は本当に落ち着く。 BAWADESOLO

《ボトヒリタノの屋根》1993.7/18
ボトヒリタノの船団集落を見学。人々は誰もが穏やかで、日々の楽しさと平和に満ち足りているようだ。内部の居心地は満点で気分がついついゆったりしてしまう。棒で突き上げたスカイライトからひょっこり顔を出してみる。ココヤシの屋根が連続している。 BOTOHILITANO

《港町シボルガ》1993.7/16
シボルガの空気は少し異様な感じがした。町には低いバラックがひろがっている。往来を行く人はワイルドで混沌としている気配だが、よく観察しているとやさしそうでもある。夕暮れのレストランで一人食事をとりながらまだ暑い港町のざわめきを感じている。店の前には埠頭まで荷物を運ぶリキシャーがたむろしている。これからテルクダラム行きの貨物船のような夜行に乗船する。 SIBOLGA

《船窓》1993.7/17
目を覚ますと船窓から爽やかなインド洋が見える。まもなくテルクダラム上陸。揺れと蒸し暑さと油の匂いとスコール、日中の陽射しだったらさしづめ地獄船と思わせたのだが、それにしてはよく眠り続けた夜だった。 NIAS

《テルクダラムの宿》1993.7/17
何もないニアス南部の港町テルクダラム。人々はザワザワとした喧騒の中で質素に暮らしている。目に見えるのはココヤシと遠浅のビーチ、いたずらな雲と激しいスコール、哀愁も漂っている。 TELUK DALAM

《DANAU TOBA》1993.7/13
ヒッチハイクを重ねてようやくトバ湖にたどりついた。夕暮れ時、思わず湖畔でスケッチを始めている。17時46分、泳いでいる子供がフィルムの空箱に水を汲んでくれる。さあ、着彩。 PARAPAT

 今回は赤道直下インド洋に浮かぶミステリー・アイランド、ジャングルの中の楽園、ニアス島の話。  1993年7月10日、ニアス探検隊8人はとりあえずマレーシアのペナン(PENANG)に飛んだ。すっかり真夏のペナンでは、ジョージタウンで朝の飲茶を楽しみ、バトゥーフリンギのビーチで波と戯れていた。  空路でまず北スマトラの州都メダン(MEDAN)に入った。以後、陸路でブラスタギ(BERESTAGI)、パラパット(PARAPAT)を経て、トバ湖に浮かぶサモシル島(SAMOSIR)のバタックハウスでは3日間の休息。 再びパラパットに戻りチャーター車でスマトラの山と田園をうねうねとひた走って、ワイルドな港町シボルガ(SIBOLGA)から貨物船のようなナイトフェリーに飛び乗った。  蒸し暑い夜だった。メンバーたちと甲板でビンタンゴ(星という意味のビール)を飲みながら、仰向けになってどんよりとした暗い空を眺めていた。夜も深まった頃に激しいスコール、ようやく暑さがおさまって、船はインド洋の闇の中を一路西へ向かう。行き先はニアス島南部のテルクダラム (TELUK-DALAM)、上陸は17日の朝であった。  18日、探検隊のジープはジャングルの悪路を走る。揺れる車窓から見える熱帯雨林の風景は、青い遠浅の海岸、空高く伸びるココヤシ、ブーゲンビリアの赤い花、クロコダイル・リバー、茫々とした野草、鬱蒼とした樹木たち。道行く人々はやさしく、子供たちは裸足で野を走り、カラフルな衣装を着た女たちは頭上に洗濯物や水瓶をのせて歩いている。ヤギ、鶏、アヒル、イノ豚たちものんきに歩いている。  テルクダラムから奥地へ11キロ、ジープはバウォマタルォ(BAWOMATALUO)の麓に着いた。小高い丘が見えて70〜80の石段が上に伸びている。これが太陽の恵みの丘、謎の船団集落があるところなのか、と期待に逸る心を抑えてゆっくりと足を運んでいく。石段を登りきるまでこの集落の姿はあらわれてこない。下からこの集落は全く見えないのである。  登りきって石畳の街路に足を踏み入れたとたん、ぼくはノアの箱舟のような船形住居に思わずため息をついて興奮状態に陥ってしまう。歩くほどに、イマジネーションの羽根が広がっていく。いったい誰が、いつ、なぜ、このような形態の城塞集落を築いたのだろう。  山頂をアッパーカットして平地をつくり、T字形に広場を兼ねた石畳の街路を配して、そこにずらりと船団集落が並んでいて圧巻なのである。家は原則的にモデュールに沿ってつくられ、サマサマ(SHAMA SHAMA)と呼ばれるV字形のブレースが高床の太い丸太と共に象徴的に表現されていて、たくましいファサードをつくっている。ピロティーと天を突く屋根、その中間に位置する落ち着いた居住空間は大地から浮上し、空に引っ張られてポカンと浮かんでいる不思議な木箱を思わせる。  バウォマタルォの村長はアワニ・ワウ(AWANI WAU)さん。彼の家を訪ねて聞いた話や資料から、ニアスの歴史を少しさかのぼってみよう。ニアスのこの船形住居は200年〜300年前に建てられたという伝承が残っていて、船をつくるのに堪能な中国系海洋民族の仕事ではないかとされているが、はっきりとはわからない。  そもそもニアス人の先祖は紀元前2000年頃、インド東北部アッサムの山地から流れてきたナガ族とも、あるいは中国南部からわたってきたマレーシア系の少数民族ともいわれている。いずれにせよ、ニアスにたどりついた流民は地理上ではインド、チベット、中国、東南アジアとの接触点で生きてきた民族であり、家屋は当然杭上住居であったろうし、巨石を扱う文化圏に属していたということがいえそうなのである。バウォマタルォの街路に敷き詰められた分厚い石畳や家の前にあるダロダロ(大きな石の腰掛け、墓石かもしれない)、ホンポ(石跳び競技のための石造建造物)などの巨石の扱いに過去の高度な文明のルーツを想像することができる。またナガ族のナガとは蛇の意味とも言われ、石に刻印された蛇を見ては、やはりナガの仕業ではないかと仮説を固めたくなってしまうのだった。  それにしても、集落を貫いて一直線に伸びる長い石畳は、思いもかけぬ空からの滑走路のようでもある。船形の木箱は今にも風にのってフワーッと飛んでいきそうな気配もするし、天を突く高い屋根は宇宙との交信を明らかに意識しているようにも思えてくる。……ひょっとしたら、これは異星人が地球上に建設した秘密の楽園の前線基地ではないか、遠い星の戦乱の災禍をのがれ、ニアスの絶境に逃亡して、質素に日々を楽しんでいるのではないか、とも思ってみたくなるのだった。

 


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