VOL.9
HUANG SHAN photo and sketch by Kiichi Suzuki
安徽省黄山
《黄山(HUANG SHAN)》 久し振りに山登り、早朝6時半、黄山湯口から上り始めたのだが、30分も歩いたら疲れてしまい、岩に座って桃源峰のスケッチを始めてしまっている。これからリュックを担いでロッククランミングのような天都峰の頂にまで登れるのだろうか。 もう9時間あまり、黄山の中を歩いている。そろそろ陽が傾きかけてきた。 4時30分起床。8人部屋のむさくるしい山の招待所。男たちのイビキの合唱であまり眠らずに夜を過ごしてしまった。身支度を整え、またてくてくと山道を歩いて行く。外はまだ真っ暗。光明頂までがんばって登ればきれいなご来光と四面雲山が見れるんだ、と一緒に歩いている男が励ましてくれる。
《西弟(XIDI)》
《南屏(NIANPING)》
《歙県大北街》
《千島湖(QIAN DAO HU)》 |
久し振りに雨が降っています。傘がないので旅社の外にはでられません。ここは黔県(YIXIAN)という古い素晴らしい町です。3日目になります。 こちらの任道斌(レンダオビン)教授(中国少数民族美術史研究家)に薦められて安徽省黄山の旅が続いています。未開放地区なので時々トラブルもありますが、浙江美術学院の紹介状と身分証を見せて何とか切り抜けています。 来てみてびっくりしたことは、このあたりが桃花源の里と人々に言われていることです。なぜびっくりなのかというと、桃花源の生活はシャングリラのイメージに重なるのではないかとひそかにぼくが思い続けていたからなのです。東晋時代の自然詩人陶淵明(365〜427)は、『桃花源記』と『桃花源詩』において田園のユートピア的物語を描出していますが、黔県(イケン)はそのモデルになった土地ではないか……、あるいは陶淵明の後裔たちが、その理想郷を想像してこの地に移り、桃花源社会を形象化したとも言われている場所なのです。 地図を眺めていると、陶淵明の故郷が江西省星子、安徽省 県はそれほど遠くなく、小国寡民の田園社会をたたえてこのあたりの深山幽谷を旅する古人の姿が目に浮かんできそうです。 ぼくは、硯の町屯渓(トンケイ)からバスに乗ってきたのですが、休寧(キュウネイ)を経て漁亭(リョウテイ)の村を右に折れたあたりから牧歌的気分はいよいよ高まり、ちょうど焼畑が行われていて、田園のいたるところに煙が立っていました。きれいな谷川も蛇行して流れ、そこでは牛とともに若い男たちが水浴しているというほほえましい風景も見られます。桃源洞や桃源峰など、桃源、桃花と名のつく地名や賓館、酒店は数多く、飲料水はずばり桃花源(TAO HUA YUAN)という天然泉水を飲んでいます。 古い村を散歩していると、どの家もお茶を飲んでいけとか、昼時になると「ツーファン、ツーファン(吃飯)」と誘ってくれるので、いつも適当なところで食事をします。昨日の昼食は南屏村の大工さんの家でごちそうになりました。むかよそから来た見知らぬ客人に対して「便要還家、為設酒、殺鶏作食」(便ち邀へて家に還り、酒を設け鶏を殺して食を作る)という桃花源記そのままの風習が生きているようです。暖かい米飯(ミーファン)と4種類の前菜は小さな干魚、ザーサイ、竹の子と豚肉の煮物、青菜といった具合です。この村には食堂もなく、小さな売店がありますが、ほとんど雑貨ばかりで、わずかに月餅が売っていたので食べてみるとこれがとてもおいしい。 黔県辺(しんにゅう)や黄山風景区の村々の多くは、徽派民居と言われ、明、清時代の古建築ばかりというヴァナキュラーな集落のたたずまいです。古い伝統を受け継いで自信に満ちたその集落の姿は、村人たちの生活態度や表情にもあらわれていて桃花源記をこの土地の人たちが誇りに思い一日一日を大切に生きているのだろうと思いました 。 外は相変わらず雨が降っています。今、早朝7時12分。旅社の服務員が掃除に来ました。この碧陽旅社は一泊6元(人民元で宿泊しているので約90円)です。トイレはむろん外です。シャワーはなく、洗面器のお湯で体を拭いたり、足を暖めたりしています。こういう旅社の気分も旅に浸っている感じがあって気にいっています。
そういえば、昨日訪れた村は張芸謀(チャンイーモウ)監督の『菊豆(チュイトウ)』のロケハンになったところでした。村の入口に大きな染屋があって、その家屋が映画の中心舞台だったのです。狭い路地の両側には古い民居がずらりと軒を並べ、石畳には鶏やアヒルも人と同じように歩き、小川にはドカッと黒い大きな牛が横になって休んでいました。子供も元気に遊んでいます。村の周囲にはのどかな田園風景が一面に広がり、村への交通は三輪車の乗り合いでガタゴトと揺られて行くのです。その土の道にはロバもゆっくり歩いています。 |