VOL.10
TURKEY  photo and sketch by Kiichi Suzuki

TURKEY



《ユシュキュダルの民家》(ISTANBUL)ヨーロッパとアジアにまたがった水の都イスタンブール。
ガラタ橋わきから出発するフェリーに乗って、アジア側の街区ユシュキュダルに向かう。石畳の坂道を歩いていく。赤い瓦の古い木造家屋が、街路に面してあちこちから顔を出している

《スルミネの夕暮れ》(SURUMENE)もう真っ暗、絵具の色は見えない。やみくもに筆を走らせている。

《オールド・ウッド・ハウス》 (SURUMENE)

《アヤ・ソフィア寺院》(TRABZON) ビザンチンとロマネスクが混交した清楚な教会である。しかも内部のフレスコ画が美しい。壁の石質は柔らかく、色は淡い黄土色で中央に高いドーム、屋根はレンガでいいテクスチュアが出ている。せみの鳴き声が聴こえる。

●オールド・ウッド・ハウス
 黒海はトラブゾンの昼下がり、旧市街のバザールでスケッチを終えようとしていたら、チャイハネからすらりと背の高い初老の紳士がやってきた。
「おもしろい話をもちかけるよ」といった柔らかい口調で一枚の写真を黒い上衣の内ポケットから取り出した。
「この家を描いて来てほしい」と今度はいくぶん真剣な眼差しである。写真を見ると、かわいらしい木造3階建の家、緑豊かな傾斜地に建てられている。トラブゾン郊外の田園住宅のようである。……時間は十分にある、写真を見ながらだまってうなづいていると、男は「そういうことだ」というように、笑ってうなづいている。
写真の裏面には紳士の名前と住所、そして、この家の所在地が記されている。
AKIN AYDIN
CUMHURIYET MAH. BILAI CIKMAZ SOK. Nr.12/2 TR-61030 TRABZON TURKEY指定された場所は
SURMENE TOWN .ANY OLD HOUSE. 40Km 
     スルミネ・タウン、トラブゾンから東へ40キロほどの距離にある小さな町らしい。……おもしろいゲームだな、行ってみようか、という心境になった。
旅というのは、一瞬先に何がおこるかわからない。どんなふうに妙なストーリーが進行するかわからない。そのわからない側に一歩踏み出していくところに旅の本当の楽しさがある。ある種の不安感を抱えながら見えてくる風景というのが大切なのである。
「行ってみるよ」と、ぼくは紳士に目配せをして、メモが記された写真を懐に入れた。紳士は描いたら見せにくるんだぞ、とこれまた目で合図している。
ドルムシュで一時間余り走っただろうか、海辺の町スルミネ・タウンに着いた。もう夕暮れが近づいていた。  写真を片手にタウン・ウォッチング。魅力的な木造民家がなだらかな坂と緑の中で健やかに建っている。一階が石造、上階が木造という具合に石と木をうまく組み合わせた混構造の家が多い。
5時30分、とうとう目的の建物を見つけた。と同時に、あの紳士のほほ笑む顔が浮かんできた。このオールド・ウッド・ハウスは、紳士にとってどんな思い出があるのだろう。ぼくは家の回りをしばらくうろうろしてから、隣家の二階のポーチを借りて約束通りスケッチを始める。人々はみんなやさしい。少し離れて作業を見守っている。スケッチの間に出てきたものをあげると、イス、テーブル、トルコ・コーヒー、チャイ、ナッツなど……。
7時過ぎ、すっかり夕焼けとなった。スケッチを終えて後片付けをしながら、無言のうちに仲良くなった家の人たちに別れの挨拶をして、ぼくは急ぎ足で海辺に向かう。もう一枚、この空と海を描きたいと思った。   この後、トラブゾンに帰ったらすっかり夜も更けていた。紳士の家を訪問して、描いたスケッチを見せるという約束は残念ながら放棄してしまい、翌朝はバスでケシャップの町に向かってしまったのだった。
でも、この原稿が誌上に発表されたら、突然に住宅建築を送って驚かせてやろう。3年ぶりに約束が果たせたことになるから、ぼくはホッとするし、あの紳士はきっとびっくりして目を回すだろう。

 


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