VOL.11
China  photo and sketch by Kiichi Suzuki

中国・貴州省雷山



《西江鎮》1993.10/29 小雨
山小屋のような旅社の食堂(厨房と一体なのだが)の小姐は20才。
おとなしくて、よく働く。
いつも旅人のために食事をつくっている。
朝の仕事は川へ水を汲みに行き、その水をカメに溜めることからだ。
水道がない厨房というのは静かで落ち着いている。
その食堂が一時大騒ぎになったことがあった。
ぼくたちは小さな椅子に腰かけ、炭火にかけた鍋を囲んでいた。
その時、大きなブタが外から乱入し、ブタもどうしていいかわからない状態で少し慌てていた。
ハシをもって大騒ぎするぼくたちの前で小姐は落ち着き払って、そのブタを追い出してくれた。

苗族の葬式の宴会に迷い込み、人々の歌声を聞く。小さな村では、人が生まれたとか、死んだとか、結婚式だとかが、とても大切な行事だった。村人たちは迷い込んだぼくたちを、昨日死んだ82才の老人が呼んだのだ、と言ってもてなしてくれた。

西江鎮では、毎朝、川へ顔を洗いに行った。
そこには早朝から村の女たちが水を汲んだり野菜を洗ったりしている。
その頃、男たちは自分たちが育てたブタを力をこめてきれいに肉にしている。子供たちはガラスのない木造の校舎でやさしい村の先生から算数を教わっている。

《台江県排羊郷市場》 ミャオの市場が賑わっている。みかん、さつまいもの天ぷら、月餅、アイスキャンディーなどを食べてみる。

《貴旧占》
刻々と陽が落ちる。これから323(花渓(ぼう)号)の夜行で昆明へ行く。

《火車の硬臥側面図》 中国の火車の旅で愛用しているのは硬臥の寝台車。いわば2等寝台で一般の中国人民と気楽な交わりのできるところが気にいっている。

●雷山県吊脚木楼之行(ピョウチャオムーロウノタビ)
1993年10月31日、8時45分。すがすがしい朝の空気が流れています。

ここは貴州省雷山県西江鎮控拝村(シージャンチンクンパンツン)。木楼(木造)3階建ないし4階建の家ばかりという典型的なミャオ族の山村です。清流の音が心地よく、鳥のさえずり、にわとりの鳴き声、大工さんたちの槌打つ音が山あいに響いています。無邪気な子供のはしゃぎ声や、牛のおおらかな鳴き声も聴こえてきます。
昨日は、西江から小さな山を二つ越えてこの村にやってきました。8キロの山道、そして、うねうねと蛇行した畦道をたっぷり4時間かけて歩いたのですが、その山と田園の風景は100パーセント・ナチュラルで、丘陵の至るところに建てられている吊脚木楼の集落は、繁殖生物の巣のような大地の景観をつくっています。心の奥底の想像力を静かに刺激してくる風景、しかも安心感のある健全な風景といったらいいのでしょうか、「何でもない野山にいろいろの宝がある」といった中川一政の言葉を歩きながら思い出しました。

この長閑な村にまで来てしまったのは、雷山県丹江鎮(タンジャンチン)という小さな町で偶然に知り合ったミャオ族の青年の出現によるものでした。李東賢、22才、ミャオ名で、李東君というそうです。上海に出てミャオ族の民族衣装や銀細工関係の仕事をしているということですが、たよりない筆談なので仕事の内容は詳しくわかりません。身なりといえば、背広をきちんと着て、アタッシュケースを持っている、という上海都会のスノッブな若者のようでもありますが、様々な修行や旅の経験も重ねてきたのか、思慮分別があって発言も指導的なので年令よりかなり大人に見える好青年です。今回は数日の休暇をとっての里帰りなのだ、ということです。
丹江鎮で彼と知り合い、バトミントンなどをしているうちに友人となり、以後、西江村の旅社2泊を経てこの控拝村に連れてきてもらいました。一行は彼と彼の弟を含めて6人、プリミティブな山道をゆっくり歩きながら、風景との素朴で幸福な関係を感じていました。これはまさしく1993年秋の地球の一つの現実の風景だと思いつつ、ひょっとしたら夢をみているのではないか、まぼろしの風景ではないかとも考えたりしました。  宿泊したのは東君の家、むろん吊脚木楼です。昨夜は停電で真っ暗、ローソクとケロシンのランプの中で一夜を過ごすことになりました。家族の人たちは停電なんかあたりまえという感じでこともなげに暮らしています。電気関係の生活用具がほとんどないのでとくに困らないといった風情です。
夕食には東君の釣った、いや捕った田魚の入った火鍋(豚肉と大量の白菜の中に豆板醤のような独特の味噌で味付けした鍋料理)をみんなでつついて食べました。この田魚の捕り方が実にめずらしく、東君はユイという円筒形の竹でつくった漁労民具を魚のいそうな田んぼに突き刺して回るのですが、これで10匹の淡水魚を捕ってしまいました。夕暮れの畦道に座って一時間余り、この不思議なシーンをぼんやり眺め続けていたのです。
9時15分。川の音は絶えまなく聴こえています。虫の声や子供の声も相変わらず響いて、木の葉が少し揺れています。道行く人は、みんなやさしそうな表情をしていて草をいっぱい積んだ天秤を肩に担いで歩いていきます。
……貴州省雷山県西江鎮控拝村、ここでは山や川や雲や星と直結している簡素で野性的な暮らしが生き続けています。
(控拝村にて、鈴木喜一)

 


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