VOL.12
Andaman Islands/INDIA  Sketch by Kiichi Suzuki

Andaman Islands/INDIA


                             

● Wonderful Beach(Corbyns Cove Beach)
1994年2月25日、ぼくはポート・ブレアの町で美しい満月を追うように歩き続けていた。
アンダマンの月とココヤシと海、この風景をどうしても描いておきたいと思い、波止場で思わずタクシーを止めた。スケッチブックを出して運転手に状況を説明する。
「わかった。ワンダフル・ビーチに行けというんだな」
といって彼が連れていってくれたところは、コルボンヌ・コーブという夜のビーチだった。
ぼくはビーチ際の路上に座り込んでスケッチの体勢をつくる。月あかりの夜の下、やわらかい波の音が時を刻んでいる。観客は運転手一人、じっと見守っている。
PORT BLAIR

● KIICHI SUZUKI 5days in Shangri-la Island(Neil Island)
ネイル・アイランドにおける5日間の生活はかなり単純だった。
起きる、井戸の水を汲む、洗面、バナナの葉っぱにもられた質素な朝食を食べる、海に行く、泳ぐ、眠る、仲良くなった漁師に魚をもらう、小石を拾って簡単なカマドをつくる、木片を集めて魚を焼く、食べる、再び泳ぐ、眠る、海の風に吹かれる、夕暮れ、絵を描く、バザールの食堂に行く、カレーを手で食べ、チャイを飲む、小屋に戻る、井戸の水を汲む、洗面、蚊帳を吊る、眠る。 お金はほとんどかからない。せいぜい一日20ルピー、約70円。

ぼくの小屋の隣家にボケた老人がいて、朝早くから竹ぼうきでブツブツいいながら何時間もかけてきれいに庭を掃いている。その老人は時々、興味深く窓からぼくの小屋をのぞく。

にわとり、牛、馬、山羊、犬、猫、鳥……。この島の動物や鳥や魚たちは幸せだ。村人たちはほとんどベジタリアンだから食べられることがない。漁師も必要以上には魚を取らないという感じで、海辺の木陰でいつもトランプをして遊んでいる。

島の日中はうだるように暑い。午後2時、この時間のバザールは死んだように閉じていて、チャイ一杯飲めない。みんな昼寝をしているのだろうか。

久し振りに野宿。ジェッティ(波止場)に新聞紙を敷いて寝袋を出す。島の人々が呆れている。モスキートがいるので蚊取線香を絶やすことができない。海はとても静か、夜空の星は徐々に輝きだしてきたが、結露現象なのか夜露で寝袋が濡れてきた。
1994.2/19 HAVELOCK ISLAND

● パシフィック・マンタを捕らえた漁師たち

●S作戦
大分、昔の話だ。
ほこりにまみれた地球儀をルーレットのように回して止めてみる。真夜中にほんの少しウィスキーを飲みながらよくやるたわいのないぼくの遊びなのだが、あの時、地球儀を止めた人差し指はインド洋上の弓なりの小島群、アンダマン諸島をさしていた。
以来、そぞろ神にとりつかれてしまったのか、この南の島がなぜか気になっていた。きっとシャングリラ・アイランドに違いないと心の中で決めてしまったからだろう。いつかふいに訪れてみよう。その時はガイドブックも資料ももたずに、何の下調べもせずに、誰にも行く先を告げずに軽やかに行ってみよう、という心境になっていた。
フレックス・インターナショナルの乙田さんにマドラスまでの航空事情を聞いてみた。タイ→コロンボ→マドラスというルートが一番早いらしい。アンダマンのポート・ブレアにはマドラスから月2回の船が3泊4日で運航されているという。遊学中の中国行と思い込んでいる周囲には作戦通り説明を省略して、ぼくは、1994年2月15日、妙な発端の古い物語の実行に入っていく。
ANDAMAN SHANGRI-LA EXPRESS SSS(SPECIAL SEACRET STORY)、……S作戦。
2月20日、イルカが跳ね、飛び魚が走るアンダマン海洋上。船上のデッキから多島海の風景を飽くことなく眺め続けていた……。
エメラルドグリーンのどこまでも透き通った海と遠浅の白いビーチに誘われて船から思わず飛び降りてしまった。小さな島、ここはネイル・アイランドというらしい。飛び降りてからぶらぶらと歩き始めたのはいいが、村のバザールで白い帽子をかぶった男が怪訝そうな顔つきでやって来て、
「ポートブレア行きの船は5日後だぞ、知っているのか?大丈夫なのか?」
えっ、そうだったのか、どうやらこの島に閉じ込められてしまったようである。こういう時の心境というのは、困ったなという心細い不安な気持ちと、いよいよ面白くなってきたぞ、という気分がぼくの場合半々なのである。危うい充実を好むたちといえるかもしれない。
島で唯一のゲストハウスは満室、といっても二部屋だけなのだが、そのほかに宿泊施設は何もなかった。島の民家はどこも質素で貧しく、土間に何人も寝ているありさまで、気楽に泊めてくれというのは気の毒だ。今日も波止場で野宿だなと決めこんでいると、島の教師だというさっきの男がしっかり心配してくれていて、村人たちと何やら念入りに相談を始めている。
しばらくして男は「おれについてこい」といいながら、困った奴だという感じの笑顔で小路を抜け、粗末な空き小屋に案内してくれた。モルタルの土間に荒ムシロ一枚、蚊がずいぶんいるという粗末な小屋である。とにかく村人たちに手厚く庇護されて、ぼくは5日間の生活基地を得ることになった。
この島ですることは何もなかった。日中はうだるように暑い。ビーチの木陰で海風を受けているのが最も自然でらくなことだった。海辺で呆然と日々を過ごした。日記も写真もスケッチもいつもの旅に比べれば極めて少ない。考えるということをほとんど放棄してくつろいでいた。ただ島の漁師たちとはずいぶん仲良しになった。言葉も満足に交わせないのに……である。まだ大人になりかけの若い漁師たちの輝くような瞳を見ているのが本当に楽しかった。
この稿を進めながら、アンダマンの島々にいた10日間はいったい何だったのだろうかと回想してみたりもした。……シャングリラの真空にポカンと浮かんでさまよっていたような状態、と言ったらいいのだろうか。……でも、そぞろ神の仕業なのだから、あまり意味を追ってはいけないのかもしれない。

 


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