VOL.16
TURKEY→BURGARIA→MAKEDONIJA→GREECE  photo and sketch by Kiichi Suzuki

TURKEY→BURGARIA→MAKEDONIJA→GREECE



《サフランボル共和国》

●旅に迷う シャングリラへの旅の場合、はっきりした目的地があって動くのではなく、旅への衝動が飽和して動くことが多い。つまり漠然と、ふっと一歩を踏み出しているのである。
周囲から、どこに行くのかと問われて、とりあえずイスタンブールに行ってから、では答えになっていないことはわかっている。……だが、目的地をはっきり決めてしまったらどうしても身構える。若干の資料も整えるだろうしディフェンシブになる。そのことによって新しい発見とかショックとかスリルがなくなってしまうような気がする。いちばん大事なものに触れられないような気もしてくる。ぼくは未知の世界で右往左往する自分、鋭敏になっていく自分、解体していく自分もみたいのだ。その中から本当のシャングリラの風景が見えてくるのではないか。
旅を終えて、結果的に自分では予測もできなかった旅の道筋が描かれていることに気づく。その軌跡をながめながら、遠いところ、身近なところ、旅する方位は360度、無限だなとつくづく思う。人は地球上のあらゆるところで日常を生きているのだから。
とにかく行ってみてから……、これがぼくの旅の感覚なのである。 旅に迷う感覚なのである。


《赤い路面電車(タクシム・ストリート)》


《ハイダルパシャ駅》

01●モスクワの猫はぼくと眠りたかった(MOSCOW 19941020)
粉雪が降っているモスクワの深夜、……クリキノ・ホテル。時差のためか猛烈に眠い。夜のモスクワ・ツアーの誘いを断り、一風呂浴びて深い眠りに……と思っていたら、いつのまにか三毛猫がぼくの部屋に入ってきて、しかも枕元にいる。トイレにまで健気についてくる。かわいい猫だなと思ったが、ぼくは猫と寝た経験がなかったので冷たくあしらってしまった。
……人恋しかったモスクワの猫。

02●ユスキュダルの人たちはお金を受け取ってくれない(ISTANBUL 19941021)
今日は曇天。夕暮れの散歩はユスキュダル、坂の町。この街区の人たちはみんな陽気で親切、しかもお金を受け取ってくれない。まず、小イワシのフランスパンサンドがタダ、焼き立てのフランスパンがタダ、ズボンのポケットの修理がタダ、時計のバンドがタダ、チャイハネのチャイがタダ。みんなお金なんかとんでもないという表情だ。……うーん、なんてこった。

03●赤い路面電車に乗ってタクシムに行った。そしてサバ・サンドを食べた(ISTANBUL 19941022)
今日も曇天。タクシム(新市街)の日本領事館に行ったが土曜日のため休館。シリアに行きたいのだがヴィザがとれない。 タクシムまでは世界最短の地下鉄とかわいいオモチャのような赤いチンチン電車に乗ってイスティクラル通りを走った。夕食はガラタ橋名物のサバ・サンド。小舟で焼いているサバをフランスパンに挟み、レモンを絞って食べる。これがうまいのなんの、イスタンブールの町と切り離せないもの、……それはサバ・サンドである。30.000リラ(約90円)。

04●ピルゼン・ビールを飲みながら、イスタンブールの長距離バスターミナルで『MENSURA ZOILI』を読んでいた。ISTANBUL 19941023)
旅に出かける時は必ず一冊の文庫本を持参する。今回、同行した文庫本は芥川龍之介の短編小説集。

05●ここはサフランボル共和国(SAFRANBOLU 19941024)
サフランボルの古い町でナスターシャ・キンスキーに似た女の子に出会ってびっくりしてしまった。その後ハマム(銭湯)に入り、大理石の温床に寝転んで強烈なマッサージを受けていた。
※サフランボル共和国は独立した国ではありません。芥川の小説を読んだ影響で日記の冒頭にそう題してしまった。

06●雨にうたれてアンカラの街を歩いた(ANKARA 19941025)
雨にうたれたせいなのか、空気のせいなのか、体調が傾いてきた。アンカラはつかみどころのない街。ティファニー&トマトでGパンを買ったりする。風邪薬を飲んで今夜は早めに寝てしまえ。

07●一日一枚の絵が描きたい(ANKARA 19941026)
アンカラ城。コーランがあちこちから鳴り響く。……きのうは絵が描けなかった。絵のないぼくの旅はさびしい。今日は気合を入れてスケッチ開始。城内の広場の石畳にどかっと腰を降ろす。時折、車がぼくを避けて通って行く。交通整理はどこからともなく集まってきた少年たち。

08●シリア国境の町アンタキアで久し振りに赤く染まる夕焼けを見た(ANTAKYA 19941027)
最新シリア情報。トルコからシリアに陸路で入る方法はただ一つ。
イスタンブールでシリア行のエア・チケットを見せ飛行機で入国するといって日本領事館の紹介状をもらい、シリア大使館でヴィザを取る。その後、エア・チケットをキャンセルしてアレッポかダマスカスにバスか乗り合い自動車で向かう、という方法しかないようである。
アンカラではヴィザ取得は不可能、空路までも完全に閉ざされている。国境あたりでクルド人の抗争があり、ツーリストが巻き込まれる可能性あり、とするアンカラの日本大使館の過保護政策かと思われるが、イスタンブールまで徹底していないのはなぜなのか。
むろん、アンタキアでヴィザ取得は不可能。ここまで来ていながら、シリアに行けないのは少し残念。

09●バザールのざわめきとコーランを聴きながら(ANTAKYA 19941028)
この町のバザールには、もうシリアの匂いがする。人々の笑顔は素晴らしく、スケッチをしているとチャイがどこからともなくやってくる。ロバも路地を歩いて行く。気持ちの良い朝の光。

10●22時間のバスドライブを終えてマルマリスについた(MARMARIS 19941029)
夕暮れ時の波打ち際。男たちがパンを餌に魚を釣っている。空は淡く染まっている。

11●マルマリスの日曜日、カフェーで海の風に吹かれていた(MARMARIS 19941030)
YENI ASIR という地方新聞の記者とカフェーで出会った。話していくうちに昨日、描いたぼくの『マルマリスの夕暮れ』のスケッチが気に入り、年期の入ったペンタックスのカメラで写真をバチバチ撮っていた。記事にするとか言っているのだが……。彼の名前は、ERDEM KATIRCI、29才。自分の名前を日本語で書いてくれというので、ぼくは即座に、有陀無 加手留地と命名した。

12●イスタンブールは美しい夕暮れだった(ISTANBUL 19941031)
今日は、いい天気なのでガラタ橋わきのサバ・サンド・ボートはたくさんの店が出ている。魚を売っている船も出ている。カツオ、サバ、アジ、カマス、イワシなど、少年や愛嬌のある男たちが手際よくアラをさばいて売っている。アラは海に捨てるので、そのアラをすばやくカモメが食べている。

13●ハイダルパシャの駅はボスポラス海峡に面していて素敵だ(ISTANBUL 19941101)
 ふらっと船に乗ったら、カドゥキョイの船着場に着いた。夕暮れ時、カフェーでハイダルパシャの鉄道駅を描いていたら、トルコの三人の若い娘がチャイをごちそうしてくれた。描き終わってから、彼女たちは『サマー・ストーリー』と『スプラッシュ』という映画の話をしてくれた。「いい映画だから帰国したら見てね」と言って別れていったが、その片方の話はたしか人魚と恋に落ちるストーリーだった。

14●さらばサバ・サンド、バスはブルガリアのソフィアに向かう(SOFIA 19941102)
シルケジ駅でテサロニキ行の切符を買おうとしたら、どこからか呼び込みのおじさんがやってきて、ソフィア行きの切符を買わないかと言ってきた。ビザは要らないのかと聞いたら、国境で簡単に取れるんだという。30ドルの言い値を25ドルに値切って、バスでソフィアに向かうことにした。バスに乗りながらメリル・ストリープ主演の映画『ソフィーの選択』を思い出していた。ブルガリアのソフィアの街とは全然関係ないけれど。

15●ブルガリアの田舎町、スタンケ・ディミトロフの日が暮れる(STANKE DIMITROV 19941103)
たどりついたら霧に包まれたソフィアの街。……寒い。トルコの陽気さと打って変わり、東欧のきびしい物憂げなイメージも漂う。とにかく街の中央広場にあるシェラトン・ホテルに向かう。大通りを黄色のトロリー電車が走っている。どこから来たのか熊使いがいる。
ソフィアの中央駅に行って適当に鉄道の切符を買ってしまった。行き先はどこでもよかった。

16●「俺がやらなきゃ誰がやる」 ありがとう、ベンツのおじさん(STRUMICA 19941104)
国境からマケドニアの暮れかかった田園風景の中を延々と歩いていく。心細くなってヒッチハイクの体勢に入り、すぐベンツを止めたが、男のベンツにはいっぱい人が詰まっている。男は降りてきて何やら大きな声でしゃべっているが、さっぱりわからない。手まねで想像する限り、乗車している人たちもヒッチハイクらしく、この人たちはすぐ近くの村で降りるから、そこまで歩いて来るんだ、わかったか、わかったのか、と繰り返しているようだった。
その夜はストロミッツアの食堂で金髪の女性ロパンを描いた。そしてコンサートに行った。隣の国ボスニア・ヘルツェゴビナでは内戦が激しさを増して兵士が傷ついているらしい。

17●食堂で残り少ない金数えオドオド頼む肉盛りあわせ
青年がそれを見かねてそばにきてビールおごると言い出して(STRUMICA 19941105)
ストロミッツアには活気のある大きな市場があった。並んでいるものを列記すると、リンゴ、ザクロ、うり、大キャベツ、唐がらし、コーヒー豆は三種類、大ネギ、チーズ、にんじん、トマト、栗、肉、川魚、にんにく、玉ねぎ、パセリ、赤ピーマン、オリーブ……、きりがないのでもうやめておこう。 ……枯葉散るストロミッツアの町、厳しい冬の一歩手前のマケドニア。

18●リアコナス・ジョンに人生のたそがれと味わいを感じた(PIRAEUS 19941106)
アテネから地下鉄でピレウスまで行った。モンキーズ・レストランという大衆食堂でアムス・ビールを飲みながら、スベラキや魚を食べた。隣にジョン・リアコナスがいて絶えずフレンドリー。食事を終えてスケッチブックを取り出して、描いてもいいかと目で問うと、彼はにっこり笑って手をゆっくり5回ほど叩いて歓迎してくれた。ずっとポーズをとってくれたジョンの横顔を描いていると人生のたそがれと味わいを感じてしまう。

19●アテネの月(ATHENS 19941107)
ポセイドン・カフェでアテネの夜空を描いていたら月がそっとぼくに言った。「旅人よ、こんなすてきな思い出をつくってどうするんだ」 ぼくは静かにうなづいてグリーク・コーヒーをもう一杯ゆっくりと飲んだ。


 


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