VOL.17
CAMBODIA  photo and sketch by Kiichi Suzuki

CAMBODIA



▲アンコールワット

《アンコール・ワット》
12月26日。5時起床。シェム・リアプの町は闇の中。パール(PHAL)という25才の青年が運転するバイクの後ろにフランス人と相乗りしてアンコール・ワットへ向かう。夜明け前はさすがに寒い。日の出をじっと待つ。5時46分、森林の幻都、クメールの栄光、アンコール・ワットに日が昇る。


▲バイヨンの微笑み

《バイヨンの微笑》
アンコール・トムのバイヨン寺に行くと、文化学院の溝口明則先生が中央祠堂の調査をしていたので少し説明してもらう。近い将来、日本政府チームが痛みの激しい北経蔵の修復をするという。彼は、その予備調査にやってきて、全体伽藍を踏まえて修復方法の考察をしているらしい。
「石はこの近くでとれる砂岩を使っているんですよ。痛みはかなり激しいようにも見えますが、中心部の構造的な骨格はそんなに崩れていないと思います。下部が二重の円筒で、上部の石積みは円錐形のようにも見えますが、おそらく四角錐を原型にしていると思います。躯体を円筒形にする遺構は、おそらくクメール建築では、ほかに例がないと思います」とのことだった。

《プラサート・スォ・プラッ》(PRASAT SOUR PRAT)
早稲田大学の中川武先生を中心とした日本政府アンコール遺跡救済チームが黙々と実測調査をしている。メンバーの話に耳を傾けると、この石(ラテライト)は切り出した時は粘土のように柔らかいのだが中に含まれている鉄分が徐々に酸化して硬度をあげ、長い時を経てやがて風化作用が始まるらしい。プラサート・スォ・プラッはまさにその風化の進行中ということらしい。
「プラッ」は「塔」、「スォ」は「綱」のことで、伝承によれば、踊り子が塔のあいだに綱を張って綱渡りをしたことに基づく呼び名らしい。

《トンレサップ川》
日が暮れるプノンペン。トンレサップに舟が行き交う。この川は一年に二度流れの向きを変える。

《キャピタル・レストラン》
プノンペンの夕暮れ。バックパッカーの溜まり場。キャピタル・レストラン。
▲シェム・リアブ湖畔の集落

●プノンペン・ノイズ
異国の空の流れる雲を飽きもせずに眺めたり、道を歩いているヤセ犬をからかったり、陽が沈んで行くのをいつまでもぼんやりと見つめられる頃になると、ぼくの体はようやく旅の風になじんできて、絵を描け、絵を描け、とつぶやき始めるようになる。
すっかり暗くなった夕暮れ、ここはカンボジアの首都プノンペン。詳しく言うとアチャミン通りの近く、キャピタル・レストランである。このレストランは周囲にいくつかの安宿があるせいか、バックパッカーのメッカである。知る人ぞ知る貧乏旅行者の国際シンジケート・レストランということになる。ぼくは歩道に張り出したテーブルの一つに席をとり、アンコール・ビールを飲みながら、一人じっと街路を見つめている。そして、雑多に入り交じった街の音を聴いている。……プノンペン・ノイズを感じている。……この街の建物も、たくましい人間たちも、そしてすべてのものも、泥の皮を一枚かぶっている。これが、偽装を解いた人間世界の様相なのかとも思えてくる。

《プノンペン・ノイズ》(PHNOM-PENH NOISE)
オートバイ、人、行き交うシクロ、人、自転車、人
トラック、人、チリンチリンの物売り、人、犬とハエ、乞食
クラクション、人、砂ボコリ、人、うなる発電機、下水の匂い
……プノンペンは苦悩の音がする
……世界は苦い味がする

今夜は1994年のクリスマス・イブ。そういえば、去年のイブはチベットのラサで高山病にかかってハアハアしながら酸素袋を吸っていた。チベットは寒くて厳しかった。……ところが、今年のイブは逆にこの暑さ。日中はTシャツ一枚でも汗が出る。今日はセントラル・マーケット周辺をほっつき歩き、ナショナル・ミュージアムに行ってみた。ジャヤヴァルマン7世(JAYAVARMAN)の凛々しい顔立ちが良かった。……この人がアンコール・トムの造営を指揮した人なのか、と思いながらノートに万年筆で顔立ちのアウトラインをなぞってみた。中庭からは真冬というのにセミ時雨。
プノンペン・ノイズを聴きながら、そろそろアンコール・ワットに行こうと決めた。となると、アンコール・ワットへの道であるが、空路と陸路と水路の三つの道のどれかを選択しなければならない。まずボーイにカフェーを注文して、あれこれ迷うことを楽しむ。
まず空路。飛行機でひょいっと飛べば至極簡単だが、簡単過ぎて風景との対話に欠けるだろう。ストーリーの展開も期待できない。利点は時間の短縮だけ。急がない旅の場合、この利点は欠点とも言える。空路案はひょいっと捨てる。 次は陸路。鉄道とバスあるいはトラックということになるが、ポル・ポト軍の潜伏拠点を通過しなければならないことと、さらに未放置の地雷もあるらしい。これは危険を察知してパスである。旅のおもしろさと危難は表裏一体ということも言えるが、ゲリラや自動小銃や地雷と聞くとさすがに怖い。わからない危うさは踏み出してみたいタチだが、みすみすわかっている危険は避けるべきである。
残るは水路だけである。あれこれ迷うふりをしても、やはりぼくは水の上を行くのが好きなのである。トンレサップの川と湖を船でのんびり、フランスパンでもかじりながら、ハンモックにユラユラ揺られ、星も月もきれいだろうなあ……と、夜風に吹かれながら想像をたくましくしてしまうのだった。

●アンコール・ワットへの道
翌朝、がんばって6時に起きた。4日分の宿代を払ってハッピー・ゲストハウスを出発した。4日で12ドル、ほんとにハッピーですね。
6時30分、キャピタル・レストランを出たトラックはトンレサップ川をどこまでも平行して走って行く。川船でユラユラ揺れてどころではない、ガタゴト振動して早く降ろしてくれといったところである。しかし、そこで見ることになった田園風景は、朝の光を低く浴びて、実に美しく気高いのである。ヤシの葉で葺いた粗末な小屋が見える。高床杭上である。点在する家もあり、集落となっている村もある。畑には牛や馬がいる。みの傘をかぶった男たちと女たちが働いている。
トラックは道なき道を、浅瀬の中を、ひたすら走り続けた。荷台から見る風景のバナキユラー(VERNACULAR)な度合いはグングン増してくる。ぼくの気分もグングン高揚する。ガタゴト、ガタゴト、走りに走って到着したところは、その高揚のピークにふさわしいようなトンレサップ湖畔の水上集落だった。

《水上集落》(WATER VILLAGE)
これはベトナムのメコンデルタで見た風景
いや、むしろ1981年に見たタイの水上生活風景に近いといえるのか
美しい異郷に入ったのだ。人々の瞳が生きている
目に映る風景は風になびく水辺の葦、その葦と竹とヤシでつくった家々
女たち、老人、行き交う小舟
人の生の営み、世界で何が起こっていようとも変わらない
このシャングリラの光景
ぼくは記録する。今、この人たちが生きているということを

小さなボートに乗って湖を走って行く。静かな湖である。対岸も行き交う船も何も見えない。これがトンレサップの謎の大湖なのか。いったいこの湖底にどんな深い歴史が沈められているのだろう。アンコール・ワットへの道でもあったこの湖は、大昔から様々な人間が様々な野心を秘めて往来したと言われている。幾度となく湖戦の舞台にもなっただろう。
この湖から流れるトンレサップ川はプノンペンを流れ、やがてメコン河に合流しベトナムを経て南シナ海に流れこむのであるが、一年に二度その流れの向きを変える。水は本源のトンレサップ湖にたち帰るという話である。
モーターボートは白いしぶきをあげて軽く揺れながら走って行く。ぼくは風を感じながら、ミステリー・レイクに誘われたのか、うとうとと夢の中に入っていく。 ……心地よい風、この類いまれな地球上に流れるもの。

 


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