VOL.18
Laos  photo and sketch by Kiichi Suzuki

Laos



《メコン河の夕暮れ》

孤独な旅の定理は五つ

一つ。出会いと別れをかみしめる
二つ。一寸先は読めない
三つ。決まった色をもたない
四つ。高く高く飛ぶ
五つ。静かに歌う


《メコン河をさかのぼる》


《タート・ルアン》

●香格里拉老 山中之行(CALLING LAOS)
サバディー・ピマーイ。あけましておめでとうございます。
ぼくは今(1995年の元旦ですが)、ラオスの首都ヴィエンチャンのバス・ステーションにいます。ラオスが呼んでいるような気がして、カンボジアから飛んでやってきました。バンコクやプノンペンの喧噪に比べればここヴィエンチャンはとても穏やかな山の町です。メコン河もとうとうと流れています。
これから正午発のバスに乗って古都ルアン・パバーンに向かうことにしました。といっても、ルアン・パバーンまでの直通バスはなく、途中のバン・ヴィアンという町までとりあえず行ってみようと思っています。
 LNT(ラーオ・ナショナル・ツーリズム)でも日本大使館でもラオス航空でも口を揃えて、「バスは通っていない。それに道は険しく危険だし、ゲリラや強盗も出る。以前日本人が殺されたことを君は知っているだろう。飛行機で行きなさい」と強くたしなめられてしまいました。
しかし地図を見たら道路はなんとかつながっているし、メコンの流れも中国の雲南省まで伸びている。陸路も水路もあるはずだ。まっ、とにかく行けるところまで行ってみよう、ラオスの田園風景をじっくり見ようと、ディフィカルト・ウェイに臨んだわけです。
「Painted with different colors. Blue、Yellow、Red、Green……」のバスに乗れ、というインフォーメーションの指示に従い、しばらくうろうろしていましたが、親切な男に連れてきてもらい、座席まで決めてもらいました。確かに赤、青、黄、緑の原色に塗られたカラフルなバスをです。じわっと汗がでるヴィエンチャンの正午過ぎ、満員になったバスが走りだしました。
幸運なことに、かわいい女の子がぼくの隣に座っています。上は白いフラウス、下はシンという民族スカートのようです。その彼女が親切にも小さな実をいくつかくれて一緒に食べています。これは何の実なんでしょうね。「フランスパンも食べる?」と彼女はきわめてフレンドリーです。清楚で、落ち着いた雰囲気があり、精神的な余裕と包容力といったものあります。奥ゆかしさとたくましさも感じます。ラオスの国花はドク・チャンパという白い美しい花ですが、たとえれば彼女のようです。ヴィエンチャンの大学生で、「名前は Miss CHAN SAMOME(チャン・サモミ)なの」、と彼女自らぼくのノートに書いています。お互いに途切れ途切れの拙い英語ですが、のどかな田園風景を見ながら心地よく話がはずんでいます。これを回りの男たちがめずらしそうにじっと眺めているという状況です。これが夢なら、しばらく覚めずにいて欲しいという気分でしたが、バスが2時間程走ったところで、彼女は「元気で旅を続けるのよ」と母親のようにやさしい眼差しでぼくを見つめ、フランスパンや果物の入った篭とバッグを抱えて降りていきました。素朴な村のバス停に佇んで、いつまでも手を振ってくれたチャン・サモミ。
「……元気に生きていってくれよな」とぼくは言葉にならない言葉を投げかけ、出会いと別れという《旅の定理1》をかみしめていました。

1995年1月2日になりました。昨夜はバン・ヴィアンで一泊して、けさのバスでカーシまでやって来ました。ということで、ぼくは今、カーシ村の昼下がりを楽しんでいます。また新しい出会いがあって、どうやらオーストラリアのバック・パッカー、パトリック・コナーと二人連れになりそうです。彼の目的地もルアン・パバーンなのです。
カーシ村はルアン・パバーンまであと300キロぐらいという地点ですが、ここからはバスがありません。しかも、あさってまでトラックもないということです。……まあ仕方ありません。パトリックは全然急いでないし、ガンジャなんかを気分よく吸い始めています。こうなったら、あしたはあしたの風が吹けといったところで、一寸先は読めないという《旅の定理2》にそって、土地の人たちとラオ・ビールを飲み始めていたら、まさかのトラックが土ボコリをあげてトコトコやってきました。セメント袋をうしろの荷台にいっぱい積んでいます。
パトリックがさっそく運転手と話をまとめて、「スズキ、ラッキー、ルアン・パバーンに行けるぞ」ということになり、ぼくたちはあわてて荷物をまとめて、トラックに飛び乗りました。《旅の定理2》はころころめまぐるしいですね。「やったね」とパトリックは肩をすぼめています。
今ちょうど17時です。国道13号線の山道をのろのろとトラックが走っています。セメント袋の上には30人のラオス人も一緒です。トラックは息切れ状態でゆっくりゆっくりと登っていきます。重過ぎて悲鳴をあげているという感じです。夕刻のラオスの山の風景は刻々と変化して見飽きることがありません。写真も大分撮りました。日が暮れて大分寒くなってきました。バスは山越え、谷越えがんばっています。
パトリックはデイジュリィド(DIDGERIDOO)というシンプルな長い木筒の楽器を持って旅する吟遊詩人で、笑顔がとても魅力的な青年です。「今まで旅をしてきてどこの国が一番好きですか」というぼくの質問に「メイビー、ラオス」とにっこり笑って答えてくれました。
「でも、スズキ、知ってるか。この道はデインジャー。一ケ月前、オーストラリア人が銃殺されたんだ」と首を横に傾ける。
「えっ、やっぱりそうなのか」とぼくは心細くなってきましたが、
「スズキは大丈夫、ラオス人と同じ色、カメレオン、すっかり溶け込んでる」 ぼくはどうも土のように汚なくなっているようです。《旅の定理3》
「でも奴らが来たら、100ドルか200ドルすぐ出すんだ。そうすればヤリはしないさ」とパトリックは平静です。そして、風に吹かれて軽く歌を口ずさんでいます。さすがに詩人です。静かに歌う、これは《旅の定理5》ですね。
夜になってトラックの荷台はどんどん寒くなってきました。たまらずリュックの中から青いセーターを取り出していると、パトリックが「スズキ、ブランケットの中に入れ」と言うのでくっついて眠ることにしました。背中の下のセメント袋が固くて、安らかな眠り……というわけにはいきませんが、仰向けになって見る満天の星がすばらしくきれいです。山道には蛍がいっぱい光っていて、その蛍がかなり高く夜空に飛ぶので、星と交錯してえも言われぬ幻想風景をつくりだしています。

うとうとしていると、グキュキュキユキューンという不吉な音をたてて、トラックは右に大きく傾きました。またしても一寸先は読めない《旅の定理2》がやってきました。山の中でどうやらパンクです。パトリックは気の毒にさっきから胃が痛いと言っておなかを抱えていたのですが、「アイヤーッ」とつぶやいて、今度は頭も抱えてしまいました。運転手や助手席の男たちはしばらく後輪を見ていましたが、とにかく明るくなってからだなという話のまとまり方で、直す気配は全くありません。どうやら予備のタイヤを持っていないようなのです。困ったもんだなと思いつつ、まあ仕方ありません。ここまで来てしまったんだから、ということです。
今はとても寒い真夜中、風が樹々の中を吹き抜ける音だけが聴こえるラオス山中です。

今日はもう1月3日です。浅い眠りを繰り返して、気がついたら今、7時30分になっています。ブランケットは、ぼく一人で被っていて、トラックの荷台には誰もいません。浅い眠りではなく、ぐっすりだったのかもしれません。
トラックを降りてしばらく歩いていくと、パトリックが物思いに耽りながらディジュリドを手に美しい雲海を眺めています。
「パトリック、モーニング」と声をかけると、
「モーニング。……スズキ、今、誰かタイヤを買いにルアン・パバーンまで行ってるよ。直るのはいつになるかわからないな」と笑っています。
木っ端をみんなで拾い集めて焚火をすることにしました。相変わらず、風に揺れる樹々の音しか聴こえない山の中です。車は何時間経っても一台も通りません。運転手はすっかりあきらめてぼんやりと谷をみつめています。くもり空です。風の強弱が葉の擦れあう音でよーくわかります。
パトリックはまたガンジャです。ぼくにもすすめてくれるので軽く吸っていると、「もっとディープにいけよ」といつもの笑みです。「スズキ、ぼくはレイジーだから写真も撮らないし、絵も描かないんだ。ハッパばかり……」と言いながら屈託がありません。彼が手にしている本は、Herman Hesse(ヘルマン・ヘッセ)のSiddahartha(シッダールダ)。インドで出版されている英語本のようです。「Pilgimage of river」とパトリックが言い、「読んだよ」とぼくが言いました。
正午を回りましたがずっと断食状態です。おなかが空いたなあ、と思っていたら、荷台に同乗していたラオスの男たちが、はるばる山中の民家をたずねてもらってきたのか、ビニール袋に入れたモチ米のご飯を持ってきてくれました。それに砂糖キビが一本。ライスと砂糖キビ、これがぼくの食事です。
くもり空は徐々に晴れ上がってきて青空となり、その中を孤独な鳥が高く高く飛んでいます。《旅の定理4》
ルアン・パバーンは果てしなく遠いようです。

 


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