誰にも見えやしないけれど光が静かに流れてる  Vol.6
都市の姿と「人間の尺度」

神楽坂建築塾公開講座『巨大都市の解体に向けて』をどう聞いたか

望月祐志(YM)×鈴木喜一(KS)

YM 先日の神楽坂建築塾の公開講座『巨大都市の解体に向けて』は1時間半の時間ではもったいないくらい中身の濃い話でしたね。

KS ほんとうにあっというまの時間でしたね。延長して2時間くらいの講座になりましたけど深く考えさせられる内容でした。去年からこの関連の講座を開いているのですが、まだまだとうぶん論議していかなければならないですね。

YM コーディネータの佐奈さん、パネルの沢さんと青山さん、それぞれのお考えがよく出ていました。私も、東京の都市光景を撮ってきたり、興味を持って東京、あるいは広義の都市に関係する書物とかめくったりしてきている中で、最近の都心の再開発については『やりすぎ』という思いが強くなってきてました、特に、200m級超高層が狭いエリアに密集している汐留地区(※)。しかも、ビルのデザインも海外の巨匠(ジャン・ヌーベルの電通、リチャード・ロジャースの日テレ、ケビン・ローチのシティセンター)が好きなように(=治外法権的に?)やってるので、派手な外観のものが……。沢さんが、赤レンガ仕上げの東京海上ビル(前川國男設計)の「美観論争」(東京大学工学部都市工学科の「美観論争に関するページ」)にもふれてられたのですが、汐留では「論争」なんて起こらないですよね、あれだけ一度に各ビルの都合で建ってしまえば。(笑)
 汐留に何度行っても嫌なのは、海に近いこともあってビル風が強いのと、あとビル間の徒歩での移動がたいへんというか、デッキからの垂直方向の動線がよく分かんないんです。それと、麻布十番にちょくちょく行くんですけれど、六本木ヒルズには未だに行ったことないです、と言うか足が向かない。(笑)

この対談はインターネットを経由したバーチャルコミュニケーション であり、
Vol.1」 「Vol.2
Vol.3」「Vol.4」「Vol.5」の続編となるものである。



▲2003年12月14日に行われた神楽坂建築塾の公開講座

パネリスト
 青山恭之氏(建築家)
 佐奈芳勇氏(建築家)
 沢 良子氏(東京造形大学助教授)
コメンテーター
 平良敬一氏(神楽坂建築塾塾長・建築評論家)
 長谷川 堯氏(武蔵野美大教授)

汐留地区……東京都港区の銀座・丸の内・霞が関などに隣接した再開発地域。敷地の大部分は1986年に廃止された旧国鉄汐留貨物駅のターミナル跡地でその規模は都心最大の31haにもおよぶ。

KS 11月に建築塾のフィールドワークで六本木開発が終わってから初めて行ったのですが、実際に歩いてみて唖然としましたね。横暴ですよ、あんなまちのつくりかたは。あの場所に染みついていた歴史とか文脈をきれいさっぱり断ち切っていて、平然としてでかいつらをしている。ヒューマンスケールなんて見当たらない。僕がこのところさかんに言っている“都市を辺境化していく装置”なんか何もない。未来は、過去を大切にしないと成立しないんですよね。
 そこのところがさっぱり分かっていない。とても上まで登る気にならなかったし、僕らも平良塾長とすぐ麻布十番の方に避難するように歩いていましたね。(笑)

YM そうでしたか。(笑) あそこは、飲食店もけっこう客単価は高いそうですね(知人談)。ともかく、超高層におけるヒューマンスケールの欠如の問題、特に垂直方向のスケールアウト、あるいは青山さんが挙げた“威嚇物としての塔性”が、パネルの方の議論、また平良先生のコメントの中にも繰り返し出てきました。沢さんは、特に、子供が育つ環境としての問題を例に出してられましたが、子供に限らず、やはり、超高層って住むにはちょっと……ですよねぇ?

KS そうですよね。住むところは当然ですが、オフィスとしてでもどうなんですか?
 そんなところで仕事をしたことないから全然実感はないんだけれど、直感でもね、こりゃあダメだなっていうのは体でわかります。いま僕は幸い、地べたで住んで、仕事もしている。これが100メートル上にあがっちゃったらって考えたらぞっとしますよ。スタスタとどこかに逃げるでしょうね。東京にこだわっているわけでもないからね。

 


▲11月フィールドワークで訪れた六本木

YM いわゆる2003年問題(※)が、IT化やセキュリティの文脈で、佐奈さんからもありました。
 つまり、安定電源や耐震のためには新しい超高層ビルがいい、という風潮なんですけども。ただ逆に、データセンターやITアウトソーシングみたいな話もあって、それだと別に自前でIT機器(サーバとかストレージ:更新や拡充のために多額の費用が継続的にかかる)を持つ必要はないんですよね。あとは、光回線を引いてセンターに繋げばそれで構わない。だとすれば、古いが故にフロアも安いビルに光を引いて(鈴木喜一建築計画工房も古いけど:笑)IT業務とかやれるはずですよね。神田とか八重洲とかの飲み食いどころにも事欠かない猥雑感のあるエリアのビルとか、あるいはちょっと中央線沿いの街とかでも十分。(笑) なんだか、オフィスのある場所(港区とか渋谷区とか)や超高層ビルのステータス性とかいう“お化粧”にお金を掛けすぎてるような気がするんですよね、もっともみんなが「はっと」気がついたら“200x年逆問題”が起きたりして。(笑)
 まま、住まいならなおさらで、“お化粧”ではなくって、暮らしやすいとか、健康にいいとか、本質的なところがもっと考えられるべきですよね。

KS そうそう、それなんだよね。僕が言っている都市の辺境化っていうことは。アジアの山奥によく行っているんですが、ほんとうに暮しやすそうなんですよ。無理がなくってね。このままでいい、文明の波が押し寄せてこないようにって祈りたくなります。
 長谷川先生もおっしゃってましたけど、コルビジェの『輝く都市』っていうのは、それまでのヨーロッパの数百年と続く建築様式からの離脱、凝り固まった権威主義からの打開、つまり呪縛の解放っていう意味はありましたけれど、かなり合理主義的なところがあってそれはいまの世の中にいい影響を与えているとは思えない部分がかなりありますね。建築家は良くも悪くもコルビジェ、コルビジェって言いますけれど、コルビジェの本質的なところ、コルビジェが思想的にも人間的にも漂流していった過程を見なくてはいけないですよね。

(※)……2003年問題……都内でおこなわれてきた大規模都市開発(丸ノ内、汐留、品川、六本木など)によってオフィスビルが相次いで竣工することで発生する問題。オフィス面積の供給量は増える一方、長引く不況のため入居者が現れず、新築のビルでも空室率が上昇する可能性があること。

YM 歴史的、宗教的なコンテキストを無視した“形式輸入”のツケが出てきてるのかも。私はつくばに6年居たことありますけど、“形式輸入”の人口都市として、あそこは(個人的には)まさに悪しき事例。(笑) 沢さんが多摩NTには「人の気配のない場所がかなりある」とかスライドを使って話をされてましたけれども、小林のりおさん(※)の多摩NTの写真に出てきてる諏訪や永山とか古いところは、人口流出もかなり……とか新聞で読んだことあります。丘陵を無理に切って作ったから、デッキや階段を使わざるを得ないんですけど (私は、多摩にも半年住んだことあります)、それが高齢者には辛いようですし……小林さんの写真をずっと見てると、どこかに『現状、そして今後の顛末』を幻視しているんじゃないのか……と思わせられるところもあります。ちょっと脱線しました。 (笑)

KS はは、ちょっと軸を戻そうよ。長谷川先生に質問してましたね、9.11の話をされたことを受けて。コンペに勝ったダニエル・リベスキンド案について。

 

 

 

 

(※)……『ランドスケープ』、『ファーストライト』には多摩NTの開発の光景が収められている。92年、木村伊兵衛賞受賞の写真家。近年 はデジタル写真の作品を発表し続けている。

YM はい。ダニエル・リベスキンドの案が“旧WTCよりも高いタワーを持つことの意味”についてのコメントをいただきたかったです。ユダヤの影、アメリカの前進志向のオブセッションのお話など、思わず膝を打ったんですが、この旧WTCを設計したのが日系のミノル・ヤマサキ氏です。彼は関わった団地についても悲劇を被っているんですよね。というのは、イギリスの60年代の高層アパートが、犯罪多発、コミュニティ崩壊の問題から爆破解体されて、代わりにタウンハウスが出てきた……というのが長谷川先生と沢さんの話の中で出てきた時に、ヤマザキ設計のブルーイット・アイゴー団地も同様の問題から爆破されたという話を読んだことを思い出したんです、確か南雄三さんのコラムかなにかだったかな。
 平良先生が「私は、今5階建の集合住宅に住んでいるのですが、どうもヒューマンスケール的には5階くらいが限界ではないかと。それ以上だとコミュニティとしてもまとまらない……」ということを言われてました。ヒューマンスケールの住まい、あるいは街ということ、この辺は建築塾に最初から通奏低音のように流れている考えだと思うんですが、いかがですか?

 

 

 

 

 

南雄三氏……神楽坂にほど近い市谷の自宅でビオトープをつくってしまった住宅技術評論家。住楽考主宰。

KS 平良先生の話はよく理解できましたね。僕もしばらくパリの屋根裏部屋に起居していたことがあって、もちろんエレベータがなくて階段でグルグルあがっていくわけですが、ちょうどそのくらいの高さでした。大地と空との関係が自分の足腰で無理なく把握できるっていうことはとても大切なことですよね。その過程で住人ともすれちがうわけです。都市の住まいというのはせいぜいそのくらいの高さで止めておきたいですね。つい先頃みんなで訪れた中国雲南省・四川省の集落(モソ人の村)(※)はすべて二階建て以下の校倉造でした。そこにはほんとうに豊かな生活がありました。

YM 対談#5でモソ人の話になって、その後でパリとノルマンディ(※)に美術塾で行かれたわけですよね。『人の暮らしの中の本質的な豊かさ』を改めて実感されたんではないでしょうか。
 鈴木さんは、なんていうのかな“水槽の魚”が時々ふっと息をするために水面に上がってくるというのか、そんな感じで東京・日本から離れて、海外のよき場所、言葉がちょっとアレなんですけど、「日本では消え行く・消えてしまったものたち」がまだ残っている所へ“呼吸”をしに行ってこられてるようにお見受けしてます、行った先では建築・都市発生論だけではなくって、歴史的、民族的な体験もされてこられる。あ、もちろん、スケッチや写真もやってこられるんですが、ちょっとうらやましい。(笑) でも、こうしたアート面を伴う複合的な記録が、実は大事なのかなぁと、人の暮らしこそが主題なのだから……。
 そういえば、まもなく年末年始恒例の“行方知らずの旅”でしたっけ。

KS へへ、そうなんです。消えさせていただきます。
 それでは、続きは#7で。今度は、平良先生、それに大石先生からも最後の時間、貴重なコメントもいただいたんだけど、地方での展開、あるいは若い建築家・まちづくりの役割についても話しましょう。では、行ってきます。

[年明け#7へ続きます]


▲中国麗江の四方街
(※)……神楽坂建築塾番外ツアーとして2003年10月24日から11月1日まで、平良敬一塾長以下12名で
中国雲南省・四川省の集落(モソ人の村)を訪問。

(※)……神楽坂美術塾番外スケッチツアーとして2003年11月18日から26日まで、フランスノルマンディー地方を訪問。

戻る