誰にも見えやしないけれど光が静かに流れてる  Vol.9

緑は“都市をほぐす力”

『新しい田園都市構想をどうつくるか』講演を終えて
望月祐志(YM)×鈴木喜一(KS)

KS● 望月さん、2004年4月24日に行われた神楽坂建築塾サロンに参加して熱心に聞いてられましたがどうでしたか?『新しい田園都市構想をどうつくるか』という平良敬一先生の広大な夢が展開されてましたね。「首都を移転して霞が関一帯を緑地として解放しよう」とか、超高層居住に対しての厳しい批判もありました。市井に埋没して細々建築設計を生業としている僕としては、なかなか、平良先生のスケール感には驚かされるというか、敬服すると同時に、一つ一つの仕事でもそういう大きな全体像の中でコマを進めて社会的にも貢献しなければいけないなぁ、と実感しました。100年、200年後のユートピアのためのために布石を打ちたいですから……。

YM● いやぁ、平良先生の基調講演については後で話を進めていくとして、まずすごいなぁと思いましたのは、サロンに参集された方々の数とお顔ぶれですね。建築家、都市論・まちづくりの専門家、工務店、編集関係者、写真家、アーティスト……第一線で活躍されている多彩な方々が一堂に会されたわけで、平良先生へのレスペクトはもちろんですが、ある種“現状への危機意識”の共有を図り、共闘していきたいという“志”が、建築塾教室に溢れていたように思います。基調講演の後、そのまま平良先生を囲んでの自由討議、さらに懇親会(静岡から直送の新鮮なお刺身が美味でした!)では、お酒の力もあって(笑)、皆さんの熱意はますますヒートアップしてましたね。講演や討議は貴重なお話ばかりで、私もメモを取るのに懸命でしたが、勉強になりました。懇親会での交流させていただいた方からのお話も興味深く伺ってました。この建築塾サロン、今後の展開がとても楽しみなのではないでしょうか?

KS● そうですね、サロンという形態の底力が感じられました。様々な人が集って交流し、横の連携が生じ、新しい活動・運動が誘起され、伝播していくことが期待出来ますね。回を重ねるにつれ、“その力”は大きなものになるはずです。平良先生はじめ、参集してくれたみなさんにとても感謝しています。さて、平良塾長の講演の内容について、そろそろ話していきましょうか。
 最初に話題にされていたのは“超高層の問題”。

※この対談はインターネットを経由したバーチャルコミュニケーション であり、
Vol.1」 「Vol.2
Vol.3」「Vol.4
Vol.5」「Vol.6
Vol.7」「Vol.8の続編となるものである。



▲『新しい田園都市構想をどうつくるか』講演の様子(2004年4月24日開催)

YM● えぇ。#6の主題(批判の的という意味で)でしたし、#7と#8でも出てきました。#6では、六本木ヒルズを槍玉に挙げましたが、そのヒルズで、3月、自動回転ドアで子供さんの死亡事故がありました。オープンからまもなく1年というところでの事故だったわけですが、実は、「ヒルズの自動回転ドアでの人身トラブルは、この事故の前に30件以上もあって、その危険性が指摘されていた……」という報道があって、本当に呆れてしまいました。私は、回転ドアは、生理的にイヤで、隣に普通のドアがあれば、たとえ手動でも使うくらいなので、「なんで回転ドアなんて付けるのか分からない!」と思っていました。

KS● 僕も好きじゃないですねえ。権威的な意匠ですよね。(失笑)

YM● コレ、冷暖房の効率を上げたり、あるいは鈴木さんの指摘のように意匠を重厚に見せるとか、ま、ビルの管理側の“都合優先”で最近竣工のビルではけっこう多いのだそうです。「事故を避けるのも自己責任(近頃は嫌な言葉になってますが)では……」という考えもあるかもしれないけれど、高齢の方にはバリアになるのも間違いないですし、公共性の高い(はずの)ビルの入り口は“安全最優先”で設計・ 管理するものではないのかな、と思います。というのは、別に私だけではなくて、だいたいの人はそう考えるのではないかなぁ……と。TVゲームの中のダンジョンではないのだから……。

 それで、ついに森ビルも、ヒルズをはじめ幾つかのビルで回転ドアを廃止することにする、との記事が先日出ていましたね。TVゲームをキーワードとして出したのは、平良先生の話の中で「超高層はガラスで仕切られた収容施設である」というフレーズが何度か繰り返された時に、ちょっと古めで恐縮なのですが、ジャン・ボードリャール(※)の『消費社会』なんてのを思い出していたんですね。超高層マンション住まい≒勝ち組、より高い階≒より高所得とか……の記号的対応とか。(笑)ま、それはともかく、『週間朝日』のこの前の特集にも、 超高層マンション住まいの“落とし穴”が出てました。

KS● ヒルズの事故、うーん、事故というよりは……自動回転ドアなんてそもそもいらないよね。やっぱり、なぜ付けるのか、僕には全く理解できませんねぇ。ま、付けてしまったものは仕方がないけど、30を超える“予兆”があったのに、「なぜ、その危険なドアを止めることが出来なかったのか」、そこも問題だよね。
 事故で怪我 をする(あるいはもっと……)というのは、“バーチャルなこと”でなく、“リアルなこと”なんだから。それから、平良先生の話の中で、「前に住んでいた中層の14階ですら、窓が開けられない。そよ風を感じることができない。洗濯ものも干せないとか……」とかあったけれども。つまり、自然の風、光、匂いとは遠く無縁な世界になっているということ、この“不自然”を僕らは考えないといけないですよね。“都市の自然”を みんながだんだん感じにくくなっているんじゃないのかな。“予兆”に対する麻痺も、同根の問題のような気がするね。
 僕はいま、実は、マンションの改修設計をしていて(笑)、それは8階と9階なんですけど、そこではまだ自然の風は感じられるんですね。実感として。だけれど、14階というのは体感していないから……なんとも言えないですけど、もしほんとうに自然が感じられないのなら、平良先生が言うように、そこは“収容所”だという表現は的確だと思います。大地からはるかに切り裂かれているわけだから。“都市の中の自然の要素”を体で感じるという機会が、超高層主導の開発ではまちがいなく損なわれていくのではないのかな。

●ジャン・ボードリャール……フランスの批評家。『消費社会』や『シュミラークル』などのキーワードを駆使して社会批評を展開。代表作は『消費社会の神話と構造』(紀伊国屋書店)。ただ、最近はハイテクに乗り遅れ気味で、ポール・ヴィリリオの発言の方がタイムリー。

YM● そうですね、超高層階の部屋でのガラス越し、あるいは環境ビデオとかの『シュミラークル』としてではなく、“リアルな自然の要素”(笑)。 平良先生の講演では、自然〜新田園都市構想〜脱東京中心主義〜地方の活性化という連関で、話の軸線が張られていたように思います。もちろん、『田園都市』を提唱したエベネザー・ハワード、その具現化事例として名高いレッチワースも何度も語られました。それで、“脱東京”に行くのは、次回の#10にしてですね、鈴木さんが前からよく言ってられて、#7のコピーにもなった『都市を辺境化する』という流れで、今回の#9では“東京の中で出来ること”で対談を進めてみたいんですね。というのは、これは図らずも……だと思うんですが、アユミがある神楽坂にほど近い場所に事務所を持っておられる南雄三さん、それに川口通正さん(※)のお二人が、自由討議の中で発言されたことが、実は私自身にとっては、“妥当な現実解”という点で、訴求度がぐっと高いように思われたんですね。(笑)

KS● なるほど、と言いたいけれど、“現実解”というのも、ちょっと消極的っぽくてひっかかるところは多少あるかな。(笑)

YM● ちょっと言い方を変えますと、平良先生のお話は、“現東京の諸々の課題点”を改善していく多様な努力のあり方を包括する『マニフェスト』として尊重しつつも、「東京の身近なところから手を打っていくことが先ずは大事なのでは……」と南さんと川口さんのご発言から感じられた、ということなんです。南さんのコメントでは、三鷹でのSOHO支援の話、都心区での住民の再定着化の努力の話などが出てきました。両者には、ベッドタウンと古くからの商業地という違いはあるけれど、どちらも「空洞化が忍び寄ってる」危機感はあると思うんですね、行政レベルの方に。それで、南さんがご自分の話をまとめられる時、「都市計画者が建築家とのコミュニケーションをサボってきていたことが、如何に住環境を拙くしてきたか……」という趣旨のことを言われたんですが、とても印象に残りました。
 それで、いいタイミングで都市公団の青木仁さんのお書きになった『日本型魅惑都市をつくる』(日経)を本屋で見かけて、そのまま買って読んでみたんです。公団という“行政組織”に居られながらも、書いておられることは意外にフレンドリー(笑)。扉文では〔……街づくりの主導権を公共団体や都市計画の専門家から、住民一人ひとりに取り戻そう……〕とかありましてね。内容的にも、小さな路地や小さな区割り、小さな個建てを活かしていく……といったいろいろな処方箋が、東京の場所を具体的に示しながら挙げられています(※)

●南雄三……#6を参照
南氏のウェブサイトは
こちら

●川口通正の個人的ファンサイトはこちら

 

 


▲前著に『なぜ日本の街はちぐはぐなのか』(日経)、『快適都市空間をつくる』(中公新書》などがあり、公団関係者でありながらも、ヒューマンスケールの視点を絶やさない論考は一読の価値がある。

KS● 公団の人が小さな路地や小さな区割りのことを受容して書いているんですか。そういう方向性はとてもうれしいですね。“現東京の諸々の課題点”ということですが、実感としては、大規模開発はなかなかとめられない。体を張って止めなくちゃいけないと思っていますが、一個人として無力さを感じています。せめて、僕の住んでいる一帯はなんとか「次世代に繋ぎとめておきたい」と思っていますけどね。神楽坂でも、大久保通りのところの“でかいヤツ”は悪名高いけれど、他にも……。都心でも住民が流動的で、どちらかというと “収容所”の方に目がいっている状態なんでしょうね。その結果、空洞化していく市や区もあるということでしょうね。そこをなんとか“辺境化”して、都市における歴史性や文脈を紡いでいきたい。

YM● 鈴木さんの中では、辺境化≒保存でもあるわけですね、“現存するヒューマンスケールの資源”(“資産”という呼び方は、ここでは使いたくない:笑)の。川口さんのコメントはもっと直截でしたね。「東京に今あるものを使っていくことが大事。大きな空間でのグリーンを求めなくても、個建ての家のグリーンをばら撒いていくことから始められる。そうした仕事は、ハウスメーカーではなく、私たち個人建築家の努力こそが活かされる仕事である……」というご趣旨でした。それで、光対談なので、ちょっとだけ技術的な話も(笑)。この“分散資源の集積”という考え方、計算科学技術の分野でも同じことがあるんです。クラスターコンピューティングとか、グリッドというんですが、パソコンを数百台、あるいは数万台とかをネットで繋いで、“巨大な問題”を小分けにして処理し、“現実的な時間”で解を得る……というものなんですが、タンパク質をシミュレートしたり、巨大な素数を見つけるとかで、もうけっこう実績(※)があるんですよ。大きな計算資源を一箇所に確保するというのは、場所やコストの上でも大変ですからね。分散されている“小さき力”が集積されていくことで得られる“大きな力”は、ネットワークがもたらす利点です。このサロンは、もちろん(人的な)ネットワークになりますね。
 グリーンの話に戻すと、青木さんの本にも〔……マイカーの所有を止め、駐車場になっているスペースを緑化する……〕とか出てきます。確かに都心では、クルマなんて、仕事でどうしても必要なら別ですが、要らないですね。この神楽坂のあたりなんて、まさにそういう場所。緑も細い街路に沿って、家々のものがけっこう目を和ませてくれますよね。
 それでもう一度、鈴木さんにふりたいんですが、事務所で手がけてられる物件、木の素材を活かされるとかはもちろんんだと思うのですが、緑の配し方とか、あるいは周りとの調和とか……ポリシー的にやっておられることはありますか?

KS● 先程も言いましたが、建築家のやっていることは“ほとんど無に等しいほどの小ささ”です。その“小さな点”を、みんなで一つ一つ繋げていくことが、いまこそ大切ですね。都心に緑を、ということで言えば、アユミギャラリーガーデンの欅の木や、出窓のところに立っているマテバシイの木も道行く人に貢献していると思います。ちょっとした地面を利用して植樹することは実際の設計上でも考慮していますし、これからもっともっと推し進めていかなければいけないことですね。東京のような大都市であれば、なおさらのことです。緑は“都市をほぐす力”になると思っています。その緑の中の「建物も人間的なものであってほしい」と常に思っています。

YM● なるほど、よく分かりました。まさに“実践”ですね。(笑) 鈴木さん、あるいは南さん、川口さん……といった個人の建築家からのアプローチと、公団の青木さんを例示的に取り上げましたが、組織からのアプローチが、うまく交差し、連動していくようになっていくといいでしょうね。
 次回の#10は、“脱東京”に関するところ、平良先生の主張された“日本型の田園都市”がテーマになりますね。さて、どんなふうになりますか……。

KS● #10の対談開始は、5月8日の建築塾第六期の開塾式の後になりますね。望月さんも、開塾式には顔を出してください。《了》

 

 

 

 

 

▲タンパク質は3次元の立体構造を持つが、この構造形成をきちんとシミュレーションするのは容易ではない。PCグリッドでは、スタンフォード大が成功例。暗号技術にも関連の深い巨大な素数では、2のべき乗から1を引く[2**n-1]式のメルセンヌ素数が有名である。変わったところでは、宇宙人からのメッセージを探すものもある。

戻る